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2006年3月11日 (土)

アヴィニョンの娘たち

 清水幾太郎『現代思想』(岩波書店、1966)は、清水の数多い著作の中でも、『倫理学ノート』(岩波書店、1972)と並んで、最もアカデミックな水準の高いものである。この本は一枚の絵画の話から始まっている。

 「一九〇七年、ピカソは「アヴィニョンの娘たち」という奇妙な絵を描いた。この作品は多くの画集に収められているから、大部分の読者は知っているであろう。義理にも美しいと言えぬ五人の女性を描いた絵が非常に有名になっているのは、ほぼ二つの理由によるようである。第一に、それがキュビズムの最初の重要な作品であるということ、第二に、それがアフリカの黒人芸術から強い影響を受けているということ。この絵には、客体を幾何学的図形に分解し、この図形の総合として客体を新しく構成して行こうという合理性の追求と、異国的なもののうちに豊かな生命を探ろうとするエネルギーの追求とが見られる。最近、ローゼンソールは、こうした「抽象」と「情熱」との結合をスペイン芸術に固有の伝統と見て、それがスペイン生まれのピカソのうちに生きているという点を強調している。実際、そういう事情もあるではあろうが、私には、もう少し大きい問題のように考えられる。…(中略)…ピカソの作品に見られる二つの傾向が、或る時は結合し、或るときは分裂しながら、一方では西ヨーロッパの芸術の古い伝統を無残に破戒し、他方では、二十世紀の芸術の大きな流れを形作って来たことが重要であるように思われる。いや、芸術の世界を越えて、それが二十世紀の思想そのものの運動を予告したことが大切であるように思う。」(pp.1-2)

 清水が『現代思想』で試みようとしたことは、19世紀風の大思想の崩壊過程として20世紀の思想をスケッチすることであった。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて企てられたさまざなま精神の冒険(ニーチェの哲学、プランクの量子仮説、フロイトの精神分析、ベルンシュタインの社会主義論など)の中で、清水がとくにピカソの絵画を冒頭にもってきたのは、そこにリアリズムの批判という20世紀思想にとって決定的に重要な意味を見たからである。

 「リアリズムは、満足した社会の自画像であった。それゆえに、貴紳富豪が芸術と芸術家とを愛して来たのも当然であったろうし、一群の大胆な芸術家がリアリズムを拒絶して、文化の内部に美しく安定していた客体を勝手に分解し、文化の外部に野性的なエネルギーを求め始めた時、それが忽ちスキャンダルになったのも当然であったであろう。」(pp.8-9)

 文章の長短にかかわらず、書き出しをどうするかは常に悩ましい問題である。「アヴィニョンの娘たち」の話を冒頭にもってくるというアイデアを思いついたとき、清水は「よし、これで行こう!」と小さく声に出して言ったのではなかろうか。20世紀の最初の10年間に生まれたことを「小さな誇り」と感じている清水にとって、『現代思想』を自分の生年である1907年に書かれた絵画の話から始めることは、気の利いたアイデアであったに違いない。そして、これはもちろん清水自身は意識していなかったであろうが、ピカソが生涯を通じてさまざまな作風を示した「変貌の画家」であったことも、『現代思想』=清水自身の思索の遍歴の検証作業という点から考えて、意味のある符号の一致と言えるのではなかろうか。

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