« 『わが人生の断片』文庫版あとがき | トップページ | 清水幾太郎と同じコーホートの人々 »

2006年3月16日 (木)

1907年生まれの人々

 中島健蔵に「平野謙の時代」という文章がある(『回想の戦後文学』所収)。1978年に亡くなった評論家の平野謙の追悼評論だが、翌年、中島自身が亡くなっているので(享年76歳)、遺稿のようなものである。この中でこんなことを書いている。

 平野謙は一九〇七年(明治四〇年)生まれである。近ごろわたくしは、自分が直接に知っている作家や思想家の名を、生年月日の順に並べている。逝世の順に並べることも無意味ではないが、世代論の基礎としては、まず第一に、生年月日による整理が必要である。自分自身の周囲については、だれが同年生まれであるか、見当がついている。しかし、その前後となると、とんでもない思いちがいをしていることがある。平野謙と一九〇三年生まれの私とは、それほど年齢がちがうわけではなかった。わたくしの方では、彼に対して、同世代という認識があるばかりだったが、彼がわたくしに対してどう感じていたかはわからない。とにかく念のため、一九〇七年生まれの知友の名を書き写してみよう。

   1・2 岩上順一(1958没)

   1・25 火野葦平(1960没)

   2・6 亀井勝一郎(1960没)

   2・18 高見順(1965没)

   3・9 鈴木健郎(1963没)

   4・26 山本健吉

   4・29 中原中也(1937没)

   5・6 井上靖

   6・19 矢田津世子(1944没)

   7・9 清水幾太郎

   7・29 船山信一

   10・30 平野謙(1978没)

   12・20 藤枝静男

  この中から、個人について、没年順にならべてみると、まるで感じが変わってくる。

   中原中也(昭和一二年)

   矢田津世子(同 一九年)

   岩上順一(同 三三年)

   火野葦平(同 三五年)

   鈴木健郎(同 三八年)

   高見順(同 四〇年)

   亀井勝一郎(同 四一年)

   平野謙(同 五三年)

 調べれば、人名はもっとふえる。文学者以外の名、たとえば蘆原英了(1・9)、赤尾好夫(旺文社・3・31)、渡辺義雄(写真・4・21)、松平頼則(作曲・5・5)、宮沢縦一(音楽評論・9・22)などを加えてみれば、また感じが変わってくる。日常的には、知人の年齢調べは、ふつうにおこなわれているのである。「あいつはいくつだって?」「なんだ、おれよりそんなに下だったのか。」「案外年をとっているんだな。」等々。現に、この表を作りながら、平野謙の文章をうかうか読んでいるとうちに、亀井勝一郎、高見順が、平野より二、三年は年長だったかのような錯覚にわたくしがおちいっていたことに気づいた。少なくとも、わたくしとしては没年調べ以上に、生年月日調べの方が意味がありそうな気がしているのである。

 一般に、歴史上の人物は彼(彼女)が何年生まれであるかではなく、何年頃に活躍した人物であるかによって、人々の記憶に残る。天皇や将軍の子どもでもない限り、生まれた瞬間から世間の注目を集めることはありえない。生まれたときはみんなただの人である。彼(彼女)は人生の途上において無名の人から有名の人になったのである。だから、普通、歴史年表には、有名人の没年は載っていても生年は載っていない。それ故、中原中也と清水幾太郎が同年の生まれであると知ったときは、意外な感じがした。中也の方がずっと年長だと思い込んでいたのである。

 しかし「清水幾太郎と彼らの時代」という切り口でものを考えていこうとする場合、「彼ら」の生年はとても重要である。誰の言葉だったかすぐに思い出せないが、「同時代人の非同時代性」という言葉がある。歴史時間のある一時点で同じ社会に存在している人々であっても生きてきた時代はバラバラであるということである。生年の違いは、社会的地位の違いとしても表れるし、人生観やイデオロギーの違いとしても表れる。つまり生年の違いは人々の相互作用に影響を及ぼす。「彼ら」の中でも生年を同じくする人々は、その意味で、特別の意味をもってくるであろう。同年生まれの人々は、社会のさまざまな場所に散在しながらも、同じ時代の空気を吸って生きてきた人々である。

 ちなみに中島健蔵と清水幾太郎は、年齢は4つ離れているが、フランス文学の助手と社会学の副手として、しばしば大学のトイレで顔を合わせていたようである。

   

  

|

« 『わが人生の断片』文庫版あとがき | トップページ | 清水幾太郎と同じコーホートの人々 »