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2006年3月14日 (火)

田山花袋

 雨声会のメンバー20人の中に田山花袋が入っていることは、現代の視点から見れば、当然と映るかもしれないが、彼が代表作『蒲団』を雑誌『新小説に』発表したのは1907年の9月、つまり雨声会よりも数ヶ月後である。彼は『蒲団』の作家、自然主義文学の開祖としてではなく、新人作家の登竜門であった投稿雑誌『文章世界』の編集主任で、国木田独歩や島崎藤村の盟友である人物としてリストアップされたのである。おそらく雨声会のメンバーに選ばれたということが、彼をして、内弟子の女性とのスキャンダルを赤裸々に(ありのままに=自然に)綴った小説『蒲団』を発表するにあたっての自信となったであろう。『蒲団』は私小説の嚆矢であるばかりでなく、百年の時を隔てて、ブログ日記の源流の一つともなっている。

 清水幾太郎にとって田山花袋が1908年に読売新聞に連載した小説『生』は大きな意味をもつ。「私の一生を決めた田山花袋著『生』」というエッセイを彼は書いている。清水は東大の社会学研究室の副手時代にこの小説を読んだことで、家族の社会学的研究(研究室の主任で清水の指導教授であった戸田貞三の専門)を断念したのである。その決断は、彼がもしかしたら東大教授という地位へと続いていたかも知れないポストを捨てて、ジャーナリズムの世界へ飛び込んでいくことの契機の一つであった。

 私の気が散っていたせいであろう、家族に関する文献は、何冊読んでも一向に面白くなかった。戸田先生は、家族を科学的に研究される反面、「夫婦や親子の感情的融合及び全人格的信頼」という風に家族というものをお考えになっていた。この点に触れる時、教壇の先生は、必ず眼を半ば閉じて、恍惚と呼びたいような表情になる。私たち学生は、「始まったぞ」と囁き合った。家族がそんな甘いものでないことは、学生たちも知っていた。

 欠伸をしながら家族文献を読んでいる途中、気晴らしのつもりで、田山花袋の『生』(明治四十一年)を岩波文庫版で読んだ。…(中略)…『生』は、明治末年の、早稲田付近の、田舎のような土地の家庭の話である。読み始めるや否や、私は、夫婦、姑、肉親……の間の、醜い、愚かな、悲しい関係の生々しい描写に吸い込まれて行った。

 『生』を読み終わると同時に、私は、読みかけていた家族研究の洋書を放り出した。「百巻ノ研究文献、一篇ノ小説ニ如カズ」とでもいうような見当違いの気持になった。家族の研究なんか御免だ。その勢いで、私は「赤い十年間」へ飛び込んで、身を社会学研究室に置きながら、社会学は現実の社会問題の解決に全く無力なブルジョア科学であるなどという文章を雑誌に書き始めた。昭和八年三月、戸田先生は、「君は研究室を辞め給え」と言われた。私は街頭の一青年になった。田山花袋の『生』は、学問とジャーナリズムとの間をウロウロする私の人生の出発点を作った。(著作集19、pp.57-58)

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