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2006年3月23日 (木)

人生問題

 社会の近代化(工業化、都市化)に伴って生まれたのは社会問題だけではなかった。個人の平面における人生問題の誕生も注目すべきできごとである。人生問題とは「いかに生きるべきか」という問題である。ハムレットは「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と言ったが、「生きるべき」を選択した後でも、「いかに生きるべきか」の問題は依然として残るのである。「いかに生きるべきか」ということが問題になりえるのは、第一に、「生き方」の選択肢が存在すること(選択肢が存在しなければ選択の問題は生じない)、第二に、ある「生き方」を選択したからといって必ずしもそれを実現できるとは限らないこと(社会的資源の多寡や個人の能力の有無のために)、第三に、同じ問題で悩む人々が一定数存在すること(そのとき初めて人生問題は個人の水準を超えて時代の問題になる)といったことが背景になければならない。日本おいてそうした条件が整い、人々、とくに若い人々の間で、人生問題の流行が起こるのは明治30年代に入ってからである。一高の秀才、藤村操は人生問題が原因で自殺した最初の人間ということになっている。1903年(明治36年)、華厳の滝から投身自殺をするにあたって、彼が書いた遺書(厳頭の感)は有名である。

 万有の真相は唯一言にして悉す曰く「不可解」。我この恨を懐て煩悶終に死を決するに至る。既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。初めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。

 当時、一高で藤村と同学だった岩波茂雄は、1942年(昭和17年)に大東亜会館で催した「回顧三十年感謝晩餐会」の挨拶の中で次のように言っている。

 私の一高時代は、所謂人生問題が青年の最大関心事で、俗に煩悶時代と云われた頃でありまして、畏友藤村操君の死が、私共青年に与えた衝撃は、実に大なるものがありました。私共は君を勝利者の如く考えて讃歎し、自分の如きは美に憧るる純情が足らず、真剣さが足らず、勇気が足らざるが故に死の勝利を贏ち得ず、敗残者として生きているのだとさえ考えたのであります。…(中略)…名を後世に掲げるというような、それまでの立身出世主義の人生観は魅力を失い、寧ろこれを蔑視するようになりましたが、同時に勉学の目的をも見失って、一時私は学業さえ放擲したのでありました。(『図書』1942年12月号)

 立身出世主義は「いかに生きるべきか」に関する近代日本の公式見解であった。それは五箇条の誓文の中の一項、「官武一途庶民二至る迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」にすでに表明されていた。国民ひとりひとりが人生の目標(志)を立てその実現に不断の努力をする生き方である。その目標が垂直に高く掲げられるとき、立身出世という生き方になる。しかし明治30年代後半の青年たちの一部はそうした生き方に懐疑のまなざしを向けるようになっていた。彼らの多くは学歴的にはエリートで、しかし、理系ではなく、文系の中でも法律や政治といった社会的関心と結びついた学問ではなく、哲学や文学といった実社会とは距離を置いた学問に向かう傾向があった。立身出世主義への反感がそうしたコースを選ばせたのか、立身出世のメインストリートから落ちこぼれてしまった挫折感が立身出世主義への嫌悪を強めたのか、おそらくは相乗効果ではないかと思うが、「世の中の役に立たない」場所にいると、自身の存在価値に対して敏感になり、人生問題に悩むということも一つの能力であるから、煩悶青年は煩悶することに自身の人間としての優等性を感じていたのであろう。どんなことで悩むかにも優劣があるのである。人生問題で悩むことは自分が人生問題で悩む(ことのできる)人間であるという自己アピールでもあったのである。そして人生問題に悩む人々がある一定数を越えると、資本主義社会では、人生問題が一種の商品としての価値をもってくる。夏目漱石『こころ』や阿部次郎『三太郎の日記』や倉田百三『愛と認識との出発』などには、そうした商品としての側面が多分にあった。

 清水幾太郎は『本はどう読むか』(講談社現代新書、1972)の中で、中学卒業時に4年間級長を務めたことに対する慰労品としてもらった『合本 三太郎の日記』が自分の興味をまったく引かなかったというエピソードを語っている。

 『合本 三太郎の日記』を読んだ時期が悪かったというのは、大部分、私が自分の職業を決定した後であったためである(清水はすでに将来は社会学者になることを心に決めていた-引用注)。なぜなら、若い人間にとっては、自分の職業が決定されると同時に、人生の問題は解決されてしまうからである。もちろん、それで問題の全部が完全に解決されるということはないけれども、その大部分は解決されてしまう。…(中略)…世の中には、一生を通じて、深刻な面持ちで人生の諸問題を論じている人間が何人かいるけれども、この人たちは、そういう問題で本当に苦しんでいるのではなく、それを論じるのが、彼らの「職業」なのである。それを論じることによって収入を得て、それで家庭を支えているのである。そういう人たちのペースに巻き込まれてはいけない。(pp.46-47)

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