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2006年3月15日 (水)

『わが人生の断片』文庫版あとがき

 「日本の古本屋」を通して高原書店に発注した『わが人生の断片』上下(文春文庫、1985)が昨日届いた。自伝の内容自体はすでに何度も読んでいるが、お目当ては「文庫版あとがき」と粕谷一希による「解説」である。

 元来、『わが人生の断片』は、十年前の昭和五十年、ハードカバー(布製)上下二巻の立派な書物として、文藝春秋から出版され、多くの読者を得たものである。今度、それが簡便な「文春文庫」に収められ、更に多くの人々に読まれるようになったのは、本当に有難いことである。

 本書では、第一に、米英との開戦から敗戦に至る時期、第二に、出生から開戦に至る時期、第三に、敗戦から安保闘争に至る時期、この三つの時期における私の経験のトピック中心に描いている。この期間に私が接した現実の起伏、それによって生じた私自身の変化、それが主題になっている。

 しかし、読者は日を逐って若くなっているから、当然の話、私が直接に経験した事実の多くは、その人々にとって、書物によってしか知り得ない過去になっている。その意味で、本書には、或る時代の記録としての意味があることになる。先日も、若い友人が、この本は長く歴史に残る文献です、と言ってくれた。

 若い友人の言葉は、私には甘い感じがした。けれども、正直のところ、本書は、著者の私にとっては苦い本である。なぜなら、この書物を出版したことによって、私は多くの友人を失ったのであるから。本書で、私は誰にも非難の言葉を投げつけはしなかった。ただ、彼らと私の考え方の相違は述べた。しかし、それだけのことで、多くの友人は私から去って行った。本書は、若い読者に、彼らの知らぬ過去を蘇らせてくれるかと思い、それを私は願っている。しかし、本書の出版によって私が失った友人との関係は、二度と蘇ることはないであろう。

 昭和六十年七月                  清水幾太郎

 晩年(死の3年前)の清水の孤独がひしひしと伝わってくる文章である。『わが人生の断片』の中で、清水は米軍基地反対運動や安保闘争の内幕を赤裸々に語った。それはちょうど田山花袋の『蒲団』が文壇に与えたのと似たような影響を当時の論壇に与えた。しかし、「文庫版あとがき」の中では述べられていないが、清水が多くの友人を失ったのは、『わが人生の断片』の単行本と文庫版の中間地点に位置する1980年に清水が『諸君!』7月号に発表した論文「核の選択-日本よ国家たれ」(単行本化するにあたってタイトルとサブタイトルを入れ替えた)によるところが大きい。粕谷は「解説」の最後をこう結んでいる。

 コントに始まり、コントに還った清水幾太郎の生涯は、まさに社会学、政治学、経済学、心理学、哲学など、およそさらゆる領域にわたって、〝往く所可ならざるなき〟抜群の問題関心と認識能力を示しつづけた。おそらく、こうした能力は空前絶後といってよく、今後ともまず出現しないであろう。 

 しかし、清水幾太郎の波瀾多き航海はまだ終わっていない。この自叙伝に書かれた時期に続いて、『現代思想』、『倫理学ノート』という卓抜な世界を切り拓いた著者は、やがて『日本よ国家たれ-核の選択』によって初めて、逆の時代の先端に立った。それは明治人清水幾太郎の先祖返りともいうべき現象なのか。またアメリカ批判を逆の側面から遂行しようとするのか。

 ともあれ、影響力の強い指導者として限りなく自重し自愛して頂きたい。多元的社会論という国家を限定する社会学からスタートした社会学者の明察は、当然、自己の位置を他の誰よりも自覚しているはずだからである。

 「自重」それも「限りなく自重」という言葉が異様である。家来が殿様を諫めるような言葉である。粕谷の目には、晩年の清水の言動は「殿ご乱心」として映っていたのかもしれない。

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