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2006年3月 8日 (水)

清水幾太郎の軌跡

 清水幾太郎には「転向」や「変節」といった言葉がついて回る。確かに清水は思想的な振幅の大きな人であった。

 隠者とか世捨て人などとと呼ばれタイプの知識人は別として、知識人というものは、通常、社会の中にポツンと存在しているわけではなく、知識人同士の緩やかな、ときに強固な、グループを形成している。そうしたグループは、論壇、文壇、学会、同人、研究会・・・・といった名前で呼ばれている。また、知識人は知識人とだけ結びついているわけではなく、政党や労働組合や宗教団体といった特定の価値の実現(ないしは実現の阻止)をめざす社会組織とも結びついていることが多い。

 清水の人生は、彼が本来非党派的な人間であったにもかかわらずではなく、まさにその故に、特定のグループや組織に長期にわたって属することがなく(できず)、さまざなまグループや組織の間を遍歴した人生としてとらえることができるだろう。その際、肝心なことは、どのグループや組織に属しているときも、程度の差こそあれ、そのグループや組織と清水の間には心理的な距離があったということである。だから清水が生涯に属したさまざまなグループや組織の思想的座標を単純につなげることによっては、清水の生涯にわたる思索と行動の軌跡を表現することはできない。さまざまなグループや組織の間の遍歴の軌跡は、それぞれのグループや組織と清水との心理的距離によって補正される必要がある。しかも、その心理的距離は清水がそれぞれのグループや組織に所属していた期間の中で変化する。つまりは一筋縄ではいかないのだ。

 本日、午後1時から、杉並区上荻の光明寺で、清水幾太郎の一人娘だった清水礼子(青山学院大学名誉教授、享年70歳)の葬儀・告別式が行われた。喪主は礼子の長男で広島大学助教授の清水真木であった。

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