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2006年3月17日 (金)

清水幾太郎と同じコーホートの人々

 人口学や社会学では同じ時期に同じライフイベントを経年した人々の統計的集団のことをコーホート(cohort)と呼ぶ。そのライフイベントが出生であれば「出生コーホート」、卒業であれば「卒業コーホート」、結婚であれば「結婚コーホート」となるわけだが、特に断らずに「コーホート」と言うときには、「出生コーホート」を指す。同じ時期に同じライフイベントを経験した人々が、その後のライフコースにおいて、いかなる類似性(他のコーホートと比較して)を保ちつつ、どのように分岐していくか(同一のコーホートの内部において)をみていくのに便利な概念である。問題はどの範囲を“同じ時期”と考えるかである。1年(単年コーホート)から10年の間で、研究テーマや扱うサンプル数によって、戦略的に設定されることになるのだが、下の表は、試みにそれを5年と設定して、その真ん中の年を清水幾太郎が生まれた1907年(明治40年)としたときの、同じ出生コーホートに属する人々を示したものである。 

1905(明治38)年

高松宮宣仁 福田赳夫 伊藤整 大河内一男 波多野完治 木村義雄 志村喬 織田幹夫 辰巳龍太郎 阿部定  臼井吉見 入江相政 石川達三 水谷八重子(初代) 成瀬巳喜男 円地文子 平林たえ子 島田正吾 波多野勤子

1906(明治39)年

豊田四郎 永田雅一 川島芳子 朝永振一郎 和田芳恵 宇都宮徳馬 坂口安吾 滝沢修 本田宗一郎 山室静

1907(明治40)年

清水幾太郎 人見絹恵 山岡荘八 湯川秀樹 火野葦平 亀井勝一郎 高見順 石井好子 三木武夫 山本憲吉 中原中也 大塚久雄 井上靖 江田三郎 宮本常一 淡谷のり子 東野栄治郎 服部良一 平野謙 藤枝静男

1908(明治41)年

伴淳三郎 勝間田清一 近藤日出造 長谷川一夫 マキノ雅弘 菊田一夫 宮城音也 服部正 横山隆一 東山魁夷 植草甚一 中村伸郎 増田四郎 宮本顕治 松田道雄 沢村貞子 

1909(明治42)年

杉村春子 山野愛子 木谷実 佐分利信 大岡昇平 小澤栄太郎 淀川長治 中島敦 太宰治 中村勘三郎(17代目) 杉山寧 土門拳 上原謙 小森和子 田中絹代 埴谷雄高 松本清張 

*「生年月日(誕生日)データベース」(ストローワード)より作成

 清水の目から見れば、自分よりも2歳上から2歳下の間の人々ということになる。年齢差が持つ意味は、年少のときほど大きい。身体的なこともそうであるが、学校という集団においては1年の違いが学年の違いとなって表れ、そこに社会的な上下の感覚が生じるからである。しかしそうした感覚は歳を取るについて相対的に小さくなっていく。学年は違っても同じ時期に中学生や高校生や大学生であったことの意味の方が大きくなってくる。同じ年頃に同じ時代の空気を吸ったことの意味の方が大きくなってくる。

 表に載せた人々の多くは自伝ないしそれに準じる文章を残している。キャンバスに幾重にも絵の具を塗っていくように、彼らの自伝を読みつつ、それらを重ね合わせていくことによって、清水幾太郎と同世代の人々(ただし有名の人々)のライフコースと日本社会の変動が見えてくるはずである。

 それにしても宮本顕治は長生きである。私は、一度だけ、彼を間近で見たことがある。千駄ヶ谷にある日本将棋連盟の特別対局室を見学したとき、その年の新人王戦の優勝者(誰であったか思い出せない)と名人中原誠の記念対局が行われていた。盤側には観戦記者(たぶん奥山紅樹氏であったろう)と一人の老人がいた。それが日本共産党委員長の宮本顕治であることに気付くまでしばらく時間がかかった。まさかこんなところに彼がいるとは思ってもいなかったからだが、考えてみると、新人王戦は共産党の機関誌「赤旗」が主催する棋戦なのであった。宮本顕治の将棋の腕前については知らない。

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