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2006年3月27日 (月)

自伝の変容

 清水幾太郎は生涯に3冊の自伝を書いている。最初の自伝が『私の読書と人生』(要書房、1949、42歳)、2冊目の自伝が『私の心の遍歴』(中央公論社、1956、48歳)、そして3冊目の自伝が『わが人生の断片』(文藝春秋、1975、67歳)である。

 昨日紹介した「易者」のエピソードは3冊の自伝すべてに出てくる。昨日の引用は最初の自伝からのものだが、2冊目の自伝ではこうなっている。

 インテリになりたい。そう思い詰めていた或る日、私はひとりの占者を訪ねました。彼は、私の顔をつくづく眺めて、「医者になれば、直ぐ金持になって、直ぐ博士になれる」と言いました。(『私の心の遍歴』、著作集10、p.291)

 最初の自伝より記述は簡略だが、骨子は同じである。ところが、3冊目の自伝ではこうなっている。

 大正九年に入ってからの或る日、何の用事であったのか、私は、本所の或る洋品屋の店先に腰かけていた。易者は、大きな天眼鏡を袋に入れながら、「医者になりなさい」と私に言った。その店へ私が行ったとき、彼は先に来ていた。なぜか私に興味を持って、天眼鏡を取り出して、私の顔をつくづく眺めた末、彼はそう言った。(『わが人生の断片、』著作集14、p.146)

 1冊目と2冊目の自伝では、自分から易者を訪ねた、とある。しかし、3冊目の自伝では、易者との出会いは偶然であり、しかも、易者の方から彼に接触してきた、と書かれている。これは大きな違いである。異同の理由はいくつか考えられる。

 第一は、記憶の変容。時間が経つと記憶内容が変化することはわれわれも日常しばしば経験することである。しかし、「易者」のエピソードの場合、記憶の変容によって異同を説明することには無理があるように思う。なぜなら、前の2冊の自伝は3冊目の自伝を書くときに手元にあるわけだから(実際、同じエピソードを以前とまったく同じ言い回しで語っている箇所が『わが人生の断片』には散見さえる)、もし勘違いして書いても後から気付くはずである。

 第二は、正確な記憶が蘇った(1冊目と2冊目の記述が誤り)。私は心理学の専門家ではないので断定的なことは言えないが、13歳のときの出来事の記憶が40代では不正確で60代ではっきりするというのはありそうもない話である。

 第三は、ドラマチックに脚色した(1冊目と2冊目の記述が事実)。人生の転機における偶然的要素の強調というのはありそうな話だ。しかし、最初の自伝ならいざしらず、以前の記述との矛盾を指摘されることを承知の上でそういうことをするものだろうか。

 第四は、脚色するのを止めた(1冊目と2冊目の記述に脚色があった)。私はこの説を支持する。自分から易者を訪ねたというのは人生の転機における主体性を強調するための脚色-それがどの程度意識的に行われたものであるかは別として-だったのではないか。おそらく清水は最後の自伝のつもりで3冊目の自伝に取り組んだはずである。とすれば、以前の記述との矛盾を指摘されることを覚悟で、できるだけ記憶(主観的事実)に忠実な記述を心がけたとしても不思議ではないだろう。

 「語りの時点が異なると語られる内容も変化する」というライフストーリーの特性は、口述生活史の研究者には周知のことである。しかし、口述生活史の調査期間は短いもので数日、長いものでも数年である。したがって、そこで起こる語りの変容の多くは、対象者の置かれている状況が大きく変化した結果というよりも、むしろ語りを繰り返すことで記憶の細部が甦ったり、語り手と聞き手の関係がより親密になってそれまで語ってくれなかったことを語ってくれるようになった結果である。語り手自身の変化によって引き起こされるライフストーリーの変容を検証するためには、同一人物について人生の異なる時期に収集された(書かれた)複数のライフストーリーが必要とされる。そうした資料はめったにない。清水の3冊の自伝はその稀有な例である。

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