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2006年3月 7日 (火)

「彼ら」とは誰か

 「○○とその時代」というタイトルの評伝は多い。有名なところでは江藤淳『漱石とその時代』がある。評伝というものが、一般に、ある人物の生涯を彼の生きた時代を背景として描くものである以上、そうしたタイトルはきわめてオーソドックスなものといえよう。

 では、私が『清水幾太郎とその時代』ではなく、『清水幾太郎と彼らの時代』というタイトルを考えているのはなぜか。別の問い方をすれば、「彼ら」とは誰のことなのか。「彼ら」とは、第一に、清水と直接・間接にかかわりのあった人々、清水の思索と行動に影響を与えた人々のことである。具体的には、大杉栄、三木清、戸田貞三、太宰治、高見順、吉野源三郎、安倍能成、丸山真男・・・・等々の人々である。彼らはアカデミズムやジャーナリズムの世界の住人で、学者、作家、インテリ、知識人、文化人などの呼称で呼ばれる。第二に、「彼ら」とは、清水と同時代を生きた一般の人々である。彼らは、庶民、国民、人民、大衆、消費者、生活者・・・・等々の名前で呼ばれる(どの呼称を採用するかは時代およびその呼称を採用する者の社会的・思想的スタンスによる)。清水は子どもの頃から「インテリになりたい」と願い、その願いを実現した。しかし、願いを実現してからは、清水は「私も庶民なのである」という自己提示にこだわった。インテリであると同時に庶民であること。清水はそうした両義性を生きた思想家であった。

 『清水幾太郎とその時代』という定番的タイトルではなく、あえて『清水幾太郎と彼らの時代』とするのは、清水のライフコースと「有名の人々」(第一の「彼ら」)のライフコースが交錯する様を描くこと、そして清水の思索と行動と「無名の人々」(第二の「彼ら」)の人生の物語の変遷を同時並行的に描くこと、この二つの課題を示したかったからである。

 

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