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2006年3月13日 (月)

雨声会

 1907年の文展開設に象徴されるような文化領域への国家の介入(およびそれへの迎合)は、同じ年、文学の領域においても見られた。『近代日本総合年表』(岩波書店)には、1907年6月17日、「西園寺公望、田山花袋・広津柳浪・森鴎外・泉鏡花ら20人を招待、雨声会となづける」と記されている。これだけでは何のことかわからないであろうが、伊藤整の『日本文壇史』11(講談社学芸文庫)にはこの「事件」が詳しく取り上げられている。

 明治四〇年の二月頃、「読売新聞」の主筆なる三叉竹越与三郎は、新しい企画を思いついた。それは彼の親近している総理大臣西園寺公望を中心として一流文士の集会を作る、ということであった。うまく捗れば、それはヨーロッパ流のアカデミーを日本に成立させることになるかも知れない、と彼は考えた。(p.9)

 西園寺首相が近く文士を招待するという消息は、早くから時々新聞に出ていたが、この明治四〇年の六月十四日、招待される文士の氏名とともに、それが大きく各新聞紙に発表された。招待会は三日に分けられ、六月十七日、十八日、十九日にわたって、神田駿河台の西園寺邸で行われることになった。(p.17)

 招待された文士の氏名は、森鴎外、坪内逍遙、幸田露伴、巌谷小波、塚原渋柿園、内田魯庵、広津柳浪、川上眉山、夏目漱石、二葉亭四迷、大町桂月、後藤宙外、泉鏡花、小栗風葉、徳田秋声、柳川春葉、小杉天外、国木田独歩、島崎藤村、田山花袋の二十名であった。…(中略)…

 この発表は文壇人にとって大きな事件であった。誰が選んだにしろ二十名の文士を首相の名で招待するというのは、それは当代の文学を代表する文士であることを意味していた。一面で時流に媚びることを嫌いながらも、一面で世評を気にかけることの最も甚だしいものは文士である。入るべくして選に入ったものはそれを当然のこととしているが、危うく選に入ったものはそれを誇りとし、危うく選に漏れたものはそれを屈辱とした。常に道聴塗説を事とし、伝説とゴシップに明け暮れる文壇の末流は、この事件で騒然となった。(pp.17-18)

 騒然とした文壇の中を噂は電光のように行き交っていた。一つは、夏目漱石が招宴を断る手紙を出し、その手紙の終わりに、「時鳥(ほととぎす)厠半ばに出かねたり」という馬鹿にしたような句を添えた、ということであった。また一つは、坪内逍遙が鄭重な手紙を書いて断ったということであった。もう一つは二葉亭四迷もまた断ったということであった。親友の内田魯庵がそれを聞いて出向き、招待を断るというのはあまりに頑なではないかと言ったところ、二葉亭は、そういう場所へおれが行くもんか、と言って相手にしなかったという話も伝わった。

 六月十七日の招宴の第一目には眉山、柳浪、花袋、風葉、春葉の五人が西園寺邸へ出向いた。十八日には、鴎外、小波、宙外、天外、鏡花、秋声の六名、十九日には桂月、露伴、渋柿園、魯庵、藤村、独歩の六名が招かれて行った。その第一夜が雨降りであったのに因んで、この会は雨声会と名づけられた。(pp.20-21)

 『近代日本総合年表』の記述だけでは、招宴は6月17日の1回だけで、招待した20名が全員出席して、名称も最初から「雨声会」と名づけられていたように誤解される恐れがあるが、実際は、3夜連続の分散開催で、欠席者は3名で、「雨声会」という名称も後付のものであったわけだ。それにしても、招待された20名のリストを見ると、塚原渋柿園なんていう「この人、誰?」という名前も若干混じってはいるものの(渋柿園は東京日日新聞専属の歴史小説作家)、全体としては、後の「日本近代文学全○○巻」という類の企画ものには欠かせない作家たちが入っている。そういう作家たちが選ばれたというよりも、ここで選ばれた作家たちが「日本近代文学」のイメージを規定していったとみるべきだろう。小森陽一は次のように述べている。

 明治四十(1907)年に、日本の近代文学は、大文字の「文学」となった。

 大文字の文学とは何か。それは、新聞という活字メディアが、国民の大多数に読まれるようなリテラシーと、言語商品としての生産・販売・流通・消費のシステムが形成され、小説を中心とした近代「文学」が、日常的に享受される習慣が発生し、その言葉による表象の中に、近代国民国家が想像的なものとして立ちあがることである。またそれは、「文学」によって、近代国民国家を一つの統合体として表象しうるという可能性を国家の側が発見し、その発見に内包される期待(あるいは命令)に、「文学」を創作する側が自発的に答えていこうとする、相補性といってもよいような関係が成立することにほかならない。(『日本文壇史』11の解説「近代国家の形成と文壇ジャーナリズム」)

 ちなみに招待客20名の中で清水幾太郎の人生に一番影響を与えたのは田山花袋であるが、その話は明日に回そう。

 

 

                            

 

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