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2006年3月25日 (土)

身の上相談

 近代的自我の構造的特徴が外面(公的自己)と内面(私的自己)の二重構造にあるとすれば、そうして二重構造は内面を語ることを通して形成される。内面を語るとは、具体的には、他人に言えない悩みや秘密を語るということである。逆に言えば、近代的自我を持つためには悩みや秘密がなくてはならないのである。

 読売新聞の紙面に「身の上相談」が設けられたのは1914年(大正3年)5月2日のことである。以後、日中戦争から敗戦直後までの期間を除いて、「身の上相談」は現在まで続いている(現在の名称は「人生案内」)。一般の読者が個人的な悩み事、すなわち人生問題を投稿し、回答者が紙面でそれに答えるという「身の上相談」は、言ってみれば、田山花袋が『蒲団』で確立した「告白」という制度の庶民版である。文学青年たちが私小説という形式を使って行おうとしたことを、庶民は新聞の「身の上相談」において行おうとしたのである。

 当時の相談内容には、たとえば「夫が一日にミカンを20個も食べるが、何か衛生上悪いことはないでしょうか」(大正4年1月31日)というような、われわれから見て「これが人生問題といえるだろうか」と思えるものが混じっている。反対に、たとえば「毎日毎日閑散な日を過ごすのは、何だか自然の道に背くような気がして、罰があたりはせぬかと良心に恥ずることもあります」(大正6年11月15日)という34歳の主婦からの相談のように「専業主婦の憂鬱」としてわれわれにはお馴染みのものが、「これはまた珍しいお尋ねですね」と回答者によって新種の人生問題として扱われていることもあった。

 端的に言えば、「身の上相談」は個人的問題が人生問題として社会的に承認される場所であった。相談者はただ単に自分が困っている問題を相談するのではなく、「身の上相談」が取り上げてくれるであろう問題を相談する。新聞社は相談をランダムに採用するのではなく、「身の上相談」で取り上げるに相応しい問題を採用する。回答者は個々の相談への回答がその場限りの特殊のものではなく、同種の相談に対して繰り返し適用可能な一般性のある回答をする。読者は相談者と回答者のやりとりを対岸の火事を見物するように読むのではなく(そういう面もあるが、それだけでなく)、自身の人生問題への対処の参考にしようとして読む。こうした相談者、新聞社、回答者、読者の協同作業の産物として、その時代、その社会における人生問題が構築されていく。

 ちなみに読売新聞が「身の上相談」を始めるよりも12日早く(4月20日)、ライバルの東京朝日新聞では夏目漱石の『こころ』の連載が始まっている。人生問題への高まりが時代の趨勢であったことを物語る符号の一致といえよう。

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