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2006年4月 2日 (日)

清水幾太郎の手紙

 私が大学院の授業で清水幾太郎の話をよくするものだから、学生から「先生は清水幾太郎の授業に出ていたのですか」と聞かれることがある。清水は1969年3月に学習院大学を退職し、私は1973年に早稲田大学に入学したので、時間的・空間的な接点はない。私は清水の著作を通して彼について知っているだけである。

 ただし、一度だけ、清水と手紙のやりとりをしたことはある。1978年のことだ。当時、大学院の入試の勉強をしていた私は、自分の卒業論文を清水に読んでもらいたくて、しかし、現物そのままでは分量的に失礼だろうと考え、その要約を作って、郵送したのである。私の卒業論文は「子供と社会に関する発達社会学的考察」と題するもので、社会学の根本問題である「社会と個人」の問題が個人の成長(社会への組み込まれ)の過程でどのように発生し、変容していくのかを論じたものである。発達社会学という用語は私の造語ではないが、それを使っている人はほとんどなく、発達を扱うのはもっぱら心理学者の仕事(発達心理学)だと思われていたのだが、発達を社会学の分析枠組を使って考察するというのが私のアイデアであった。そしてこのアイデアは私が清水の著作を読んでいて思いついたものである。その著作というのは、『社会と個人-社会学成立史』(1935)と『社会的人間論』(1940)である。前者は社会学という学問の成立の契機としての「社会と個人」の問題の発生を歴史的に検証したもので、後者は個人の一生を集団から集団への遍歴としてとらえることで、個人が社会に組み込まれつつ、同時に個人が社会を作っていく相互作用過程を論じたものである。私は前者から問題(社会と個人)を、後者から方法(発達的アプローチ)を学んだ。そういう経緯があったので、自分の卒論をぜひ清水に読んでもらいたかったのである。そのときの手紙にどんなことを書いたのか、コピーを取っておかなかったので覚えていないが、たぶんファンレターのような文面であったろうと思う。清水からの返信があったのは、2ヵ月ほど後のことだった。

 雑用に追われ、返事が遅れて申し訳ありません。お手紙および学士論文要約、拝読しました。前者を読んで大いに恐縮し、後者を読んで大変に見事だと思いました。立派なものだと思います。似たようなテーマ-ただし目的や条件は全く違いますが-は「社会的人間論」(昭和十五年)で少し扱ったことはありますが、甚だ粗雑なもので、われながら恥づかしい次第です。小生、ご承知のように、あちらこちらと放浪を重ね、経済学に手を出したり、哲学に文句をつけたり…聊か身を持ち崩していますが、どうか私のように右往左往せず、確実な研究者の道を歩いて下さい。現在は、修士課程でしょうか。修士論文完成の暁は、是非、「要約」を拝読したいものです。小生は、昨年、「昨日の旅」(『文藝春秋』)の連載を終り、昔からの宿題であるオーギュスト・コントに関する本の準備を進めているところです。しかし、なかなか捗りません。エネルギーが大分減って来たためでしょう。ご健勝を祈ります。

 三月四日                          清水幾太郎

  無名の高校野球選手が長嶋茂雄から手紙をもらったようなものである。お世辞だとわかってはいても、自分の卒論が「大変に見事だと思いました」とか「立派なものだと思います」と言われて、嬉しくないはずはない。ブタもおだてりゃ木に登るというやつである。大学院に合格したばかりで(当時の院試は2月か3月かにあった)、まだ入学はしていなかったが、自分は研究者としてやっていけるだろうと思った。

 清水幾太郎『オーギュスト・コント-社会学とは何か-』(岩波新書)が出たのは、その年の9月のことである。小さな本には不釣り合いなほどの大量の文献を渉猟した末のその上澄みだけを使って書かれた本である。しかし、その年、世間の耳目を集めたのは、この小さな研究書ではなくて、清水が『中央公論』6月号に発表した「戦後を疑う」という刺激的な評論の方であった。その内容は(進歩的な)戦後思想の二大公理であった共和制と社会主義が治安維持法への復讐の心理に由来するものであることを論じたもので、「右往左往」してきた清水が、最後の大きなステップを「右」に向けて踏み出したことを示すものであった。

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