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2006年4月 4日 (火)

『岩波日本史辞典』

  山川出版の『日本史広辞典』(1997)に「清水幾太郎」の名前が載っていなかったことは、びっくりすると同時に、一種の義憤めいたものを覚える出来事だった。この感じは、清水が亡くなったとき(1988.8.10)、すべての全国紙が彼の死亡記事を載せた中で、共産党の「赤旗」だけがそれをしなかったときの感じに似ている。共産党は、清水を批判することによってではなく、その死を黙殺することによって、彼を「忘れられた思想家」にしようとしたのである。ある人物が忘れられるかどうかは、決して自然の過程ではなく、高度に政治的な過程なのである。
  このことがあったので、岩波書店から『岩波日本史辞典』(1999)が出たときは、そこに「清水幾太郎」の名前が載っているのかどうかが、まず気になった。はたして、550頁にそれは載っていた。

 清水幾太郎 しみずいくたろう 1907.7.9-88.8.10 社会学者、評論家。東京生れ。東大社会学科卒。東大副手を経て、東京朝日新聞嘱託としてコラムを担当、1941-45年読売新聞論説委員。49-69年学習院大学教授。マルクス主義の社会学者として出発。32年唯物論研究会に参加。その後プラグマティズムに接近。40年には全体主義への批判を伴った「社会的人間論」を著すが、戦時中、戦争協力者的論説を書いた。46年二十世紀研究所を設立、ついで平和問題談話会会員として活躍。50年代には内灘・砂川の基地反対闘争に参加、60年安保闘争では全学連主流派と行動をともにした。高度成長下の60年代には近代化論に結びつき、戦後民主主義の理念と決別。さらにタカ派の論客へと変貌した。〔著作集・19巻・1992-93〕

  岩波書店と清水との間には浅からぬ因縁がある。清水が論壇デビューを飾ったのは雑誌『思想』であったし、戦後創刊された『世界』の常連の執筆者の一人であったし、岩波書店がスポンサーであった平和問題談話会は「清水でもっている」と周囲から見られていた。それが60年安保の行動方針をめぐって共産党を批判したことで、左翼の統一戦線をめざしていた編集長吉野源三郎と対立し、その後、『世界』へは執筆をしなくなった。しかし、さすがに岩波書店というべきだろう、そうしたいきさつはいきさつとして、「清水幾太郎」は歴史に名前を残すべき人物であるという判断をきちんと行った。もちろんその記述は「左寄り」の視点からのものであるが、そもそも、歴史記述に「中立」(没価値的)ということはありえないのである。

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